みなさま、

早いもので、二週間がたちました。残るは一週間と少々。
週のはじめに生活のペースができたなと思ったころから、語学クラスは、どんど
ん難しくなります。それでも、現役の学生諸君は、朝まで遊んで教室にきていま
したが、週の中盤からは、疲労を隠せないようで、ハイペースで遊んでいた学生
は、ダウン気味です。

第三回をお送りいたします。

■30年ぶりの再会
 初めて韓国にきたのが、1974年の夏でしたが、その時に、強烈な反日の論陣を
はっていた大学院生が二人いました。彼女たちとは、その後、仲良くなりました
が、大学をでたころから音信不通。そのうちの一人は、1990年に、お子さんをつ
れて日本に遊びに来られた時に再会。それが16年ぶり。今回は、もう一人の方と
連絡がとれたので、会うことに。
 やはり30年というのは、半端な年月ではありません。向こうは、私の姿を見て
すぐにわかったようですが、彼女は、すっかり50代の上品なご婦人になられてい
て、当時の小生意気な(^^;)大学院生の面影はありませんでした。現在は、全州
大学の英文学の助教授です。それでも、話始めれば、話すことは山ほどあるので、
あっという間に、時間はたっていきます。実は、もう一人の友人も、偶然、現在
の本拠であるベルギーから帰国中で合流。ふたりのお姉さん相手に、いたぶられ
る「弟」になって楽しい時を過ごしました。
 50代のおばさんが二人して笑い転げるのを見ていて、ふっと30年前のこの二
人を思い出しましたが、本当にいい友達なんですね。笑い転げる時に見せる笑顔
には、ちゃんと昔の面影がはじけてましたし、ちょっと深刻な内容の議論になっ
た時に、言葉を選びながら発言する時の仕草などは、昔のままでした。かなりき
つい議論でも最後にジョークを飛ばして、笑わせるあたりも、昔のまま。韓国と
ベルギーに離れ離れの生活なので、彼女達自身も何年かに一度しか会えないらし
いですが、そんなところにまぜてもらったとても楽しいひと時でした。
 次は、8年後くらいに会いましょうか、という約束をして、アンニョン。こん
な友がいることは嬉しいです。

■テコンドー
 テコンドークラスは、指導の先生のキャラがうけていて、女性たちにも大人気。
休む人が殆どいません。しかし、週2回の語学堂学生の文化体験コースに加えて、
土曜日の通常クラスまで受講すると週三回。これは、半端な運動量ではありませ
ん。そのためか、そろそろ、怪我をする人もではじめました。蹴りの時にはりき
りすぎて、足を痛めたりしています。
 それにしても、テコンドーは、足技中心。蹴りの体系です。これだけ、重点的
に蹴りのトレーニングをしたのは、初めてだと思います。身体がやわらかい人は、
どんどん、あの華麗な蹴りをマスターしていきますが、私のように、身体が固い
者には、一つ一つが苦難の連続です。それでも、すこしは、やわらかくなったか
もしれません。大学での稽古日に、トレーニング方法と実際の蹴りをご披露でき
るようになって帰りたいと思います。
 8/18には、昇級審査があります。通れば、ハングルで名前の入った黄色帯をも
らえます。初段(黒帯)以前に、帯に名前を入れるなんて、日本では考えられな
いことでしたが、殆どの参加者が初めてで、そして、帰国後、続ける保証のない
人達にとって、これは、いいモチベーションになっているようです。日本の武道
のメンタリティーでは、ちょっと考えられないですが、「うまくなろう、楽しく
やろう」という合理的な精神で稽古が組み立てられています。これは意外でした。
稽古の最後は、ハナ(1)、ツル(2)、セッ(3)、セッ(4)、テコンドー、
テコンドー、チャチャチャ、オー、ですから、なんか恥ずかしくなります。チア
ガールがやってもおかしくない...。

 稽古の中では、声を出して、数を数えます(これが、語学学習の一部としての
テコンドー?)。準備体操などするときに、1、2、3、4、〜5、6、7、8、
というあれですが、これを毎回毎回、大声でやるので、いやでも数字は覚えます。
また、前蹴り、横蹴り、というように技の名前も韓国語。抽象的に、前=アップ、
横=ヨップ、などとやってもなかなか覚えられないのですが、身体の動きをあわ
せて、いろいろな単語を、大きな声で発音しますから、これも、いやでも(^^;)
覚えます。

■図書館
 前回、ここの中央図書館は、24時間営業だと書きましたが、友人が、徹夜勉強
をしてきました。
 12時を過ぎた頃に、一度、睡魔に襲われたらしいですが、その後、だんだん目
が冴えてきたとのこと。その頃になっても、学生が、どんどん入ってくるらしい
のです。それですごい気迫で勉強しているので、それにつられて彼もどんどんハ
イになり、ものすごい密度で、勉強したらしいです。翌日の講義には、1時間ほ
ど仮眠して参加。まあ、私がそんなことをしたら、2、3日体調崩してしまうの
で、真似はしませんが、図書館の迫力は確かにすごいです。
 6階には、共同学習室があって、話をしながら、勉強できるスペースがありま
すが、そこの喧騒状態がすごい。まあ、勉強しているのか、おしゃべりしている
のか、わからない集団もいることはいますが、がんがん議論しながら、持ち込ん
だノートパソコンでまとめていく様は、圧倒されます。ああいう迫力は好きです。
大学の図書館って、こうあるべきなんだろうな、と今更ながらに感じています。

 今日は、日曜日で、多くの業務は、休業ですが、一般閲覧室などは、開いてい
ました。半日以上、図書館にいましたが、まあ、休みなのに、学生諸君がくるこ
と....。土日開館、24時間開館、があたりまえの環境です。

■光州
 8/15が光復節で学校が休みになったので、どこかにいこう、という話は、週の
最初からでていたのですが、もたもたしている間に、電車の指定席などは、とっ
くに満席。やはり、三連休です。当初は、慶州に行きたかったのですが、16日土
曜日には、テコンドーの稽古がある、ということがわかったとたんに、みなさん、
土曜日も入れた遠出から引いてしまいました。まあ、それほどまでに、テコンドー
にはまっているわけです。私は、この土曜欠席は、しょうがないと思っていたほ
うなので、みなさんの反応には、結構、驚きました(^^)。
 そこで、急遽、予定を変更。目的地、光州。交通手段、夜行バス。8/15の夜中
の門限までに帰宿。土曜日は、朝の稽古に参加。
 結局、同室のL君と40代のおじさんのKさんの三人の、いきあたりばったり旅
となりました。こんな経験は、学生時代以来です。
 予約がない深夜バスに乗るので、少々早めに、寄宿舎を出たのですが、地下鉄
の中で、酔っ払いにからまれるは、高速バスターミナルでは、その日の最終バス
に乗れなかった人たち目当ての、白タクのおじさんにとりかこまれて、すごまれ
て(^^;)、まあ、学生のL君には、最初からびっくりの旅になってしまったようで
す。オジサン二人は、全然ひるまずでしたが..。
 深夜バスは、午前4時に、光州に到着。その後、沐浴湯を探して、そこで一風
呂浴びて、休憩室で仮眠。このあたりは、韓国沐浴湯の仕組みを理解していたこ
との応用問題(^^)みたいなものです。ただ、休憩室といっても、床暖房(オンド
ル?)で硬い床。蒲団があるわけではないし、隣に、まったく知らないオジサン
達が裸で寝ているので、そこでも、L君は、たじたじのようでした。オジサン組
みは、ここでも、熟睡。おかげで、L君は、ちょっと睡眠不足気味のようでした
が、若さと体力でカバーしていたようです。

 光州は、1980年の光州蜂起で、有名になりましたが、1927年には、当時の日本
統治に対して高校生が決起した歴史をもっています。今回は、光州蜂起の史跡を
たずね、墓地にお参りしてくる旅となりました。
 タクシーを借り切りで確保して、回りましたが、運転手のパクさんは現在、53
歳。あの5月、怖くて、家の中に隠れていた、と言ってました。当時、学生とみ
なされれば、命の保証はなかったわけですし、道を歩いているだけで棍棒で殴ら
れる状況だったといいます。当時、すでに、結婚して子供もいたパクさんは、本
当に恐ろしかったと話してくれました。でも、もし、自分が、独身で学生だった
ら、一緒に闘っていたと思うとのお話に、あの闘争の性格が現れているようです。

 金大中政権になって、光州の武装蜂起は、反逆ではなく、自由と民主主義を守
る義挙として位置付けられ、立派な国立の墓地ができました。しかし、この墓地
の裏手に、最初に戒厳軍が遺体を清掃車で運び込んだ場所があって、そこが、旧
墓地となっています。前回触れたところですが、そちらにも行ってきました。
 国立墓地の方が、無機質なモニュメントになっているのに対して、この旧墓地
の方は、亡くなられた方々の「その後」が分かるような場所でした。生きている
人が、あの世の人たちに「今」を伝える仕組みなのでしょうか、アクリルやプラ
スティックのケース(人形ケースのようなもの)があって、そのなかに、家族の
近況や、南北首脳会談を伝える新聞記事、などが納められています。手紙も入っ
ていました。学生の墓碑には、所属していた学生組織のスローガンが書かれた鉢
巻がまかれたいました。そして、かなり目にしたのが沢山の千羽鶴。千羽鶴の意
味について、それほど深く考えたことはないのですが、あのように、お墓の横に
おかれているのを見ると、一羽一羽に残された者の祈りがこめられていることが
よくわかります。
 国立墓地の方には、遺影安置室があります。圧倒的に多いのは、1950年代後半
から1960年代はじめに生まれた学生たち。私と同年代の人たちも相当います。ま
た、かなり年配の方や、まだ、あどけない小学生もいました。彼等が命をかけて
守ったもの。これからも考えていきたいと思います。

 この日は、抜けるような晴天で、タクシーのパクさんも、これは、もう秋の気
候だね、と言ってましたが、「お墓参り日和」だったと思います。中には、兵役
中で迷彩服の若者のを連れた私と同年代の家族連れがいましたが、両親が当時の
様子を伝える写真パネルに見入っているのに、迷彩服の息子さんの方は、ず〜っ
と、携帯電話を触っていたのが印象的でした。この語学堂にきている多くの学生
たちにとっても、1980年5月は、すでに「歴史上」の出来事のようです。

 すっかり仲良くなったタクシーのパクさんといっしょに、光州民俗博物館にいっ
て、生活資料、風習などもみてきました。展示物をみながら、もう、こんな服装
はしない、とか、こういう光景は、どこそこに行けば、まだ見ることはできるよ、
と、パンフレットからは得られない説明もしてもらいました。感謝。

 このような「歴史」をつつみこみながら、光州は、その名の通り「光」関係の
産業に力をいれ、情報産業の発展の中で、確固たる位置を築こうとしているよう
です。
また、いく機会があれば、今度は、光州を見守る無等山に登ってみたいと思いま
す。慰霊碑の隣には、「ああ、光州よ無等山よ」で始まる「ああ、光州よ! わ
れらの十字架よ!」が掲げられていました。
 強行軍ではありましたが、いい旅だったと思います。

ああ、光州よ無等山よ / 死と死の間で / 血の涙を流す / 我等の永遠なる青
春の都市よ // 我等の父はどこに行ったのか / 我等の母はどこで倒れている
のか / 我等の息子は / どこで死にどこに埋められたのか // 我等の可愛い
娘は / またどこで口を開けたたまま横たわっているのか // 我等の魂はまた
どこで / 裂かれ散り散りにかけらとなったのか
.....


■韓国IT革命
 韓国の電子政府関係の調査は、少々難航してましたが、おもしろい本を発見。
ユ・ヨンミン教授の『サイバー空間の社会』2003/2という本です。個人情報とプ
ライバシー、民族.共同体.kr、青少年@インターネット、なぜ、また世代なのか、
サイバー空間の性戯弄、サイバー性戯弄の自律規制、女性の社会機会はよくなっ
たか、と続いたあとe-政治・行政の第5部があって、そこで、「サイバー選挙運
動の分析」と、「電子情報のリーダーシップと調整」が論じられていました。こ
こに、電子政府に関する展開が述べられています。日本のe-Japan計画をみてい
ると、官のためのシステム、というイメージが強いですが、こちらでは、G4C
(Goverment for Citizens)と呼ぶようです(「G4C事業の推進と課題」月刊
『自治行政』)。文献リストも手に入ったので、図書館で過ごす時間が増えそう
です。やっと手がかりが手に入ったら、あと一週間(^^;)。こりゃ、遊びにいっ
ている暇はなさそうです。

ではでは。

ふじもと@延世大学テコンドー語学堂特別クラス
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kazuo fujimoto <fujimoto@sakushin-u.ac.jp>
作新学院大学 人間文化学部
http://www.sakushin-u.ac.jp/‾fujimoto
PGP:D664 D542 D578 5B39 BB2E 50AA 6FEC 2FE7
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