以下のものは、2000年秋に刊行された『モバイルプレス』技術評論社、に書いた記事「アウトラインプロセッサへのこだわり」からの抜粋です。前半は2020年の今日では誰も使ってないようなデバイスでのアウトラインプロセッサの話ですが(ideaTreeは別でかも)、ここに抜粋した部分は今でも有効だと思います。typoの修正など行ってます。
■ところで「アウトライン」ってなんだ
パソコンを使った論文の書き方を扱っているものは、大抵、アウトライン・プロセサに触れているようだ。でも、アウトラインやパラグラフとはなにか、ということは別の本を読んだほうがいい。私は、学生達にレポートを書かせるにあったっては、澤田昭夫氏の『論文のレトリック』『論文の書き方』(ともに講談社学術文庫)を紹介している。あとは、木下是雄氏の『理科系の作文技術』(中公新書)や『レポートの書き方』(ちくまライブラリー、現在、ちくま文庫)などもいいと思う。それと、もう、手に入らないかもしれないが、1987年の放送大学の英語のテキストで、『Reading Academic English』(比嘉正範)という本があって、これが、本格的なアウトラインの世界への入り口だったように思う。ついでにいうと、この比嘉先生のお弟子さんに、都立大の大学院生時代に英語とアウトラインを教えていただくチャンスに恵まれた。あれは嬉しかった。
(2020/05の追記:このお世話になった先生に連絡を取りたくてネットで近況を調べたら、発見したのは訃報でした。合掌。)
アウトラインとはなんだ、ということは、上記の本を読んだり、よくできた目次を見ればいいのだが、エンサイクロペディア・ブリタニカ(全35冊)の索引巻のMacropaediaが面白いので、図書館などで見てみて欲しい。よく目にするいわゆる「索引」とは違って、アウトラインで階層構造に組織された立体構造の索引が楽しめる。事項索引の巻(Micropaedia)で、Macropaediaのどこにあるかを調べて、調べているものが、ブリタニカの知の体系の中のどこに位置しているのかを調べる。Macropediaで見つけると、調べている事項の上位、下位、関係項目が、一望のもとに見渡せた。1995年頃だったが、このエンサイクロペディア・ブリタニカがCDになって、ユーザ・インターフェースにNetScapeが使われ検索エンジンにwaisが採用されたことを知ったとき、あのアウトラインで記述された知の森がWebのリンクになったのだとえらく感激してしまった。でも、もう紙の百科辞典は作らないというから、最新のものはCDやWebのリンクで見るしかない。私としては、印刷版のアウトラインのリンクの壮大さが、Webになってしまって見えなくなってしまったような気がしているのだが、どうだろうか。
(図6 ブリタニカCDでのアウトラインの図)
ちなみに、ブリタニカ・オンラインは、今は無料のサービスをしている。(2020/05の追記:categoryというところをたどると階層構造が見えてくるのですが、その先を読もうとすると「7日寛は無料だから登録してよ」というpopupが出ます。無料はさわりだけのようです。)
Encyclopaedia Britanica Online http://www.eb.com
EB Online http://www.britanica.com
■考えをまとめるときの友
さて、実際にどのように使うのか、という話になると人それぞれになってくると思う。自分の頭の中に閃いたり、雑然とした中から沸き上がってきたアイデアを、階層構造で整理することを助けてくれるツールなのだから、使う人の発想の癖や流儀よっても変わってくるのだ。マニュアルや共同執筆の報告書のように、各部分の独立性が高い文書だと、アウトライン・プロセッサでの構成検討だけですんなり最終型になることも多い。しかし、まだはっきりしていないアイデアを文章化しながら論文にする作業となるとそう単純な話ではない。
まず、言いたいことを一行に要約したキー・センテンスを思い付く限り描き並べ、次に、これをグルーピングし、階層構造にまとめてアウトラインを作る、というあたりはどの本にも書いてある通りのことをしている。ただ、私の場合、残念ながらこれだけではすまない。こうして作ったアウトライン(「一次アウトライン」と呼ぶことにします)に対して、本文をどんどこ書き込んでいくとはらはらとアウトラインが崩れていく。最初のころは、その崩れに気付いたらアウトラインを修正してから、それから書き続けていたのだが、そうすると今度は、この訂正されたアウトラインに本文が引きずられるような感じがして、書き辛くなってしまうようになる。アウトラインが崩れないように気を使って、筆の勢いがそがれてしまうのだ。本末転倒。
それで、一次アウトラインを作ったら、とりあえずそれをもとに、エディタで、ダーっと一気に全体を書いてしまうようにしている。アウトラインが崩れようと脇目もふらず、ひたすら書く。その「勢い」は結構大切で、書きたいことが指から出てくる時は、脱線しようがなにしようが書きまくった方がいい。
こうして出来上がった文章を、改めて、アウトライン・プロセッサを使いながら構造化していく。こうして出来た「二次アウトライン」の段階になると、最初にキー・センテンス(だと思って)書き連ねて作成したアウトラインよりも、自分が言いたかったことがくっきりしたアウトラインを手にすることができる。ここまでくると、あとは、文章の細部の修正を行うことで、だいたいの形にはなっくる。もっとも、締切りは目前だったり過ぎていたりするが。
常日頃同じテーマに継続した時間をさける場合には、この一次アウトラインは限りなく二次アウトラインに近いものになるのだが、会社の仕事の合間に、休日や通勤途中を使って考えていることには、こういう段階的アプローチでもしないと、まとまった文章にするのはむずかしい。日記の形式で、日々発想の断片はエディタで書きためているが、やはりどこかで集中してまとめる事をしないと、断片は断片のままでゴミでしかない。
その意味で、アウトライン・プロセッサは、こうした集中して考える時のかけがえのない「友」なのだ。
■これからもアウトライン・プロセッサ!
私のWebを訪問していただいた方から、会社勤めと論文執筆とよく両立しますねと言われる事がある。二足のワラジ生活には、職場の同僚や上司、そして家族の理解がなによりも前提なのだけど、200LXやCEがあるから通勤電車の中でも文章が書けるからだ。このアウトライン・プロセッサが使える事で、畳の上に足の踏み場もないくらいにメモやらカードやらを並べてあれこれ構成を考える事が、どこでもできるのだから。