雷鳴と共においでになった先生は
天女になってお帰りになったのだろう
藤本一男 (教員)
あれはいつのことだっただろうか。急に空模様が怪しくなってきたと思った ら雷が鳴り始めたのだから、9月だったのかもしれない。大学に学生はあまり いなかったので夏休みが終わる前だったような気もする 。
研究室に在室している時にはドアを 開けておくので、誰かが研究室前の廊下 を通ると、すぐわかる。その時もそうだった。誰かが通った。それが服部先生 だった。先生は、入ってもいいですか、と言って私の研究室にお入りになった。なんのご用だろうとかと思っていると、どうも様子がおかしい。「あの、なにかご 用でしょうか」と聞けば、「ここに居てもいいですか」とお答えになる。 「え?」と返したら、「実は雷、怖いんです」とおっしゃる。あ、そんなこと なら、どうぞそこにお座りくださいと、椅子をお出ししてお茶をいれることにした。なんだよ、こんなことがあるなら、もっと研究室、きれいに掃除しておくのだったと思うが後の祭り。こういうことは、大抵、予期せぬ時に訪れる。雷が遠くに去るまでの間、たわいものないことお喋りしていただろうか。暫くして、もう大丈夫ですからと、先生はご自分の研究室にお帰りになった。私も、仕事に戻った。
専門が違うので、先生とは一緒に仕事をしたことなどなかったので、雷事件 (?)が数少ないお話の機会だったように思う。ただ、そのあと、ある女子学生がかかえるトラブルについてコメントを求められたことがあった。あの件は 解決したのだろうか。今でも時々気にはなっている。
雷事件のことを、W先生(服部先生のファンです)に話したら、なに、そんなことがあったのか、許せんと! 大いにやきもちを焼いてくれたのだが、睨まれても困る。たままた研究室が同じフロアでご近所さんであっただけの話なのだから。しかし、それからというもの、雷が鳴ると、2階に研究室があるW先生が、4階をうろうろするようになった(気がする)。時々「先生、なにか用ですか~!」と部屋の中から声をかけるのだが、「いいえ~」といって、いなくなってしまう。まったく….。
服部先生がお亡くなりになって、私に 回って きた仕事が一つあった。宇都宮市の廃棄物減量等推進審議会委員。なんで私が、と聞けば、専門が社会学でしょ、とこじつけのようなことを言われたのだが、これは、服部先生からのプレゼントだと思ってお引き受けすることにした。
時々、雷が鳴ると研究室の入り口が気になる。気配を感じたらお茶でも用意するつもりでいるが、残念ながら気配はまだない。一度はご病気から回復されたあとのご逝去。もっと、一緒に仕事させていただければよかったと思う。ずいぶんと抱え込んでおられたような話もお聞きしたし、回復後もご無理をされていたのではないだろうか。
今でも雷が鳴ると、ふっと寂しくなる。ただただご冥福をお祈りするばかりです。
合掌
Version1.22011/4/5 入稿
注:服部美佳子先生。2009年11月ご逝去。作新学院大学人間文化学部 教授(心理学)。この原稿は、先生にお世話になった大学院生たちが中心になって編集する予定であった追悼文集に寄稿したものです。ご逝去からすでに10年以上たってしまった今の時点でも刊行されないため、勝手に追悼させていただくことにいたしました。(2021/03/02)