母の出棺の時(2013年6月20逝去、21通夜、22葬儀)のご挨拶をやっと文章にいたしました。ご挨拶のためにつくったアウトラインをもとにした「再現」ですので、細かい表現には違うとこころもありそうですが、ご容赦ください。
(2022年6月20日 母の命日)
母は、84歳にならんとする生涯をみなさまに見送られながら穏やかに閉じることができました。本日はご参列ありがとうございます。介護施設、病院関係の皆様にも感謝いたします。父も、母の介護を最後までやりとげて、昨夜のお通夜を迎えました。ご苦労さまでした。
母のことでいくつも思い出すことがあります。
私がまだ小さかったころですが、戦争の時のことをなんども話してくれました。ただ、戦争そのものというよりも、勉強したかったのにできなかったということを繰りかえし話していました。勉強したかったのに、できなかった。だから私と弟には、勉強しろ!と厳しかったのだと思います。
父と母は、ガラス加工の町工場を営んでおりました。父が作った電気炉の猛烈な熱さ前で姉さんかぶりで仕事をしている母の姿を覚えています。
また、壊れたラジオを分解しては別のものを作ることし始めていた私が、道に捨てられていたラジオを、恥ずかしてく拾ってこれなかったことがあったのですが、かわりに拾ってきてくれたこともありました。
ただ、一番の悲しみは、弟の他界であっと思います。
私も数々の親不孝を繰り広げてきましたが、最後、弟に逆転されました。弟は、親より先にあの世にいく逆縁という最大の親不孝をやらかしました。
その弟も私もまだ小学生だったのころの光景も覚えています。
母の故郷の伊豆の町に帰ったときのこと。私と弟が母と手をつなぎながら坂道を登っていました。父は、荷物を持たされて、私たちのあとから、汗を拭きふきをついてきていたと思います。
その時に、母が歌っていたのでが、「みかんの花咲く丘」です。
一番は、覚えてました。2番は、おぼろげながら…
1 みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える 青い海 お船がとおくかすんでる 2 黒い煙をはきながら お船はどこに行くのでしょう 波に揺られて島のかげ 汽笛がボウとなりました (「みかんの花咲く丘」詞 加藤省吾 曲 海沼実 1946)
3番は、今回、調べて初めて目にしました
3 いつか来た丘 かあさんと いっしょに眺めたあの島よ 今日もひとりで見ていると やさしい母さん思われる
母は、大兄妹の末っ子だったということもあって、物心ついたときには、祖母は他界していて、おかあさんの姿を思い出せないと言っているのを聞いたことがあります。
あの世で、再会していると思います。
弟も先にいっているので、わかるようにしてくれていると思います。
本日は、ご会葬、まことにありがとうございました。
(写真は、作新学院大学で仕事を始めたばかりのころ、つまりまだ研究室が物置になってないころに、来てくれた父と母です。)
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