深夜の山登りとソウルの夜景(2009/09)

■深夜の山登りとソウルの夜景

2009/09

月曜日の夜に、延世大のテコンドーを見学にいった。2003年に語学堂・夏季三週間コースに通っていた時に参加していたご縁。2006年3月に山尾先生と韓国をまわった時に、訪問したら、ひどく歓迎されてしまって恐縮したが、そのあとは、なかなか時間がとれず(前回は、私が午前と午後を勘違いして訪問できず)、稽古に参加できなかったのだが、今回は事前に何度も(!)も確認して、全員で訪問。

夜の1時間半ほどの稽古を見学させていただいた。留学生が半分くらいいるようだ。

稽古がおわったら、シンチョン(新村)にタッカルビを食べにいこう、とメールを戴いていたのだが、どうやら、道場生のみなさんもごいっしょになる雰囲気。これは予想外で、実にありがたいこと。

こうして、タッカルビを、韓国人学生、留学生は、日本、イギリス、香港からで、それに私達が合流してテーブルを囲む楽しい場となった。なんでも、香港からの留学生(W君)が帰国するのでその送別会でもあったようだ。加えて私達の歓迎会。そこで自己紹介を含めてたピーチをさせられる。前回は稽古が終わって円形になってその日の講評をうけるときに短いスピーチをさせられたので、今回も、その時があると思って、若干の準備はしていたのだが、今回はなし。そこでホっとするやらちょっと残念に思うやらで、気をぬいてしまっていた。ところが、そのテーブルで、はい、ではフジモト先生~、ときた。もっときちんと用意しておけばよかったがあとの祭り。

日本人留学生もいたおかげで、我が学生諸君もいろいろな話しができたようだ。

ここまでの展開でも、予期せぬ展開で充分驚いていたのだが、更なる展開がまっていた….。

さ、フジモト先生、沢山食べて、とキム師範。いやぁ、もお腹いっぱいですよ。沢山たべました、とワタシ。大して飲めない私がすでに、ビールも焼酎も入っている。なのに、師範は、エナジ~ィなどと言って大笑いしながら、食べろ食べとという。

しばらくすると…

「このあとね、」

「はい」(二次会でノレバン:カラオケ、なんてくるのかな思っていると)、

「山に登るぞ」、と師範。

「ぇ?」、

と聞き返す。

なんでも、大学の裏手にある山に登ると、素晴らしいソウルの夜景がひろがっている、というのだ。

山、ねぇ。でも、時間はすでに21:30を回っているのですよ。22:00近かったかな。それから山って言われて想像するのは、小高い場所にいって、ソウルを眺めるということくらいだった。その30分後に、自分の想像力の貧困さを思い知らされることになった。

山にいくぞ、という師範の呼び掛けに、道場生のみなさんは、予想外に引いていた。まあ、夜も10時なんだし、明日、朝から講義です、というのは不参加に充分な理由だと思ったものの、「そうですかぁ、いっしょにいきましょうよ」と皆さんを誘っても、不参加のみなさんの意志は固い。北大から交換留学で来ているYさんは、だって、山って本当にけわしい山道を真っ暗な中、かなりの時間あるくんですよ、大変なんだから…、とおっしゃる。

こういわれても「大変さ」は、自分の経験の中でしか想像できないのだなぁ、実に。時間は、もう22:00だし。でもこれが常識的思考の限界。

香港からきているW君は、師範のマウンテンバイクを託されている。いつもは車できている師範がなんでマウンテンバイクなのかわからなかったが、飲むからなのだろうと理解していた。それに、山にいくといっても、マウンテンバイク「持参」なのだから、やはり、丘のようなところに行くものだとばかり思っていた。

こうして、師範以下参加者1+6名はシンチョンから大学に戻り、かつて3週間ほどかよいつづけた延世大の寄宿舎、ムアク学舎にむかう道を歩いていく。

「ホント、この先生、強引なんだから」とW君。

「そうですよね」と私。でも、彼が意図するとところを理解してはいなかった。

「もう、ここももう山だよ~」とW君。

「そうですね」と私。

確かに、寄宿舎に向かう道は山道。でも、そんな眺望がひらけるようなところがあった記憶がない。あれば、語学堂にかよっていたときに行っている。

しばらくいくと、法文館(要確認)を左に見ながら登って行くちょっときつい坂。山尾先生に、寄宿舎はずっとこの先なんですよ、と説明していたら、師範、右に入っていく。そこって行き止まりなんじゃないの、と思っていたら、そこが「登山道」の入り口。Yさんが、本格的な山道なんですから!と行っていたのがこれか、と思い知らされる。さぁ、行こう!と、師範。

一同、これから先の困難など、そう無茶なことはないだろうと、事態を楽観的に理解しようとしていたと思う。こうして、夜中の登山がはじまってしまったのだ。

月がでていたのだが、山道の頭上は緑に覆われているので、足元は真っ暗。踏み外したら転落。なんという所をなんという時間に歩かされているのやら…。

途中、師範は、「釜山港に帰れ」をうたいはじめて、ケ・ウンシクメドレーでご機嫌。師範と私は同世代なので、70年代の韓国のフォークソングも一緒にうたう。こんな時に自分が学生時代に覚えた歌を一緒に歌えるとはうれしいものだ。

「ピョンジ(手紙)」を歌い始めたら、ここからは、歌はだめだ。足と呼吸をあわせて、一歩一歩いかないとあぶない、といい、後続のものの名前を呼びながら、注意をうながしている。この先生、とんでもない時刻にとんでもない場所をあるかせるというとんでもないことをやっているのに、こうした気配りは最後まで怠らなかった。こういうところが、「困った先生なんですよ」と言われながら、道場生には愛される由縁かもしれない。日本では絶滅種ではないだろうか。こういうタイプの先生。

そんなこんなの夜中の登山をやって、山頂についたのが、24:30。確かにすばらしい夜景が眼下に広がっていた。夜中の登山の苦労は報われた!

しばらく休憩。皆で缶ジュースをわかちあう。私達には妙な一体感が形成されていた。なんだろね、これは。

師範はきわめてご機嫌で、今日は、特別な日だから、特別なメニューを用意したんだよ、わっはっは、だ。この突き抜けたご機嫌さ。かないません。

日本からきていたMさんは、ビーチサンダル(^^;)。ウォーキングシューズだって大変なのに、それはもう大変。帰りはケーブルカーかロープーウェイがいいなぁ、とおっしゃっていた。同感。でも、彼女も夜景に感激していた。さすが、武道家(?)。

W君によれば、一回きた学生は二回目からは必ず辞退するという。ここまでくると納得できる。で、W君は何回目ときいたら、3回目だという。前回は台風がきていて、ここ(山頂)では、雨が下から吹き上げていたのだとか。だから、今日のこの光景は最高だね、と表情にこやか。

で、下りはどうなるのだろうと心配して師範にお聞きしたら、ウォーターフォール~、ときた。なんでも、師範のマンションの方に降りるらしい。いったい、どうなるのだろう。とはいえ、途中で脱落するわけにもいかず。出発~。

途中で湧水地を通過。ここで小休止。皆に水をのませた後、師範は、ザックからポリタンを出して水をいれ始めた。日課なのか、これは…。でも、どうやら、この道は、大学と師範のマンションの間に位置していて、自分の裏山のようなのかもしれない。ふたりのお嬢さんもここで鍛えていそうだ。

師範が水をポリタンに入れているあいだ、私達は、もう一つの湧き水で手や足の露出部分、首などを濡らす。蚊にくわれても、こうすると、かゆくないとか….。夜中のソウルの山中でサバイバル訓練。

時々見えるソウルの夜景は美しい。頭上には明るい月。最後尾を歩いているW君のヘッドライトがなくても、こちらの道は足元が見える。こんなふうにしながら更に下っていくる。随分降りてきた。

すこし平坦な道に出て、平坦な道に安堵していたら、すぐにまた山道のようなところに入っていく。そっちが近道だとか。

そうこうしているうちに山道終了。

師範、ご機嫌で、一人一人の健闘を称えて熱い握手をしてまわる。終着点にある小川の橋の上で、しばらく涼む。小川の水に冷却された風が心地好い。そしてみなさん、笑顔。私達なにやってんでしょうね、といいながら、ニコニコしていた。師範もニコニコ。

大きな川に展開されているブロックの上をにしばらく行ったら、娘さんと奥様がお出迎え。大変なものにつきあわされましたねぇ、と挨拶される。いえいえ、楽しみました、とご挨拶。そう言うしかないでしょ、ここは(^^;)。でも、確かに楽しかった。

すると、師範が、こちらは、2年前に自宅においでいただいたフジモト先生とヤマオ先生だ、と解説してくれる。あらためてご挨拶。

最後は、師範が運転する車で、宿の近くまで送っていただいた。別れ際、みなさんとも熱い握手。時間にして3時間。でも、夜中の12時をまたぐ3時間の濃密なことよ。

この時間になると、タクシーは道路でカーチェイスをやっている。師範、レース・モード!なんていって、アクセル踏み込む。いや、私達はゆっくりいきましょうよ!

そこでも、ハハハ!と豪快な師範でした。

宿に戻って、今夜は男三人だけででシロアムのサウナへ。宿に戻ってきたら、W君からさっそくメールが入っていた。次は、香港にもいってみたいなぁ。

それにしても、次回こそは、ちゃんとしたスピーチを韓国語でできるようになりたい。

そのあと、山に行こうといわれたら?
行きそうな気がするなぁ。ああいうの結構好きですから(^^)。

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