おじさん組手の壮絶 2000/08/03

 空手の稽古のハイライトに組手がある。実際に相手と試合する。稽古は、基本に始まり、形を経て、最後に組手、というのが標準的なメニューだ。

 水曜日の練習は全員が有段者。それだけに、組手もすごい。私のように、ペーパードライバーのような有段者にとっては緊張の一時である。学生や社会人の有段者と組手をしてもあまり勝負にならない。相手が若いと、向こうの動きについていくのが精一杯になるし、すごい人と対面すると、相手がスっと見えなくなったと思ったら、突きをもらっていて身体に衝撃が残り、相手は私の後方に過ぎ去っている、なんて場面すらある。

 こんな有りさまだが、同じくらいの実力の相手となら、多少はドラマのようなストーリーのある組手となる。Nさん、としておこうか。年代は私と同じくらい。他の人との組手では、私が経験するのと同じ様な闘い方だ。まあ、私よりはパワーも技もおありだが。なんとなく親近感がわく。そうなると、いつのまにか、どちらからともなく顔を見合わせるようになり、あるとき、無言のうちに「やりますか」と言い合う瞬間がやってくる。言い合うといっても、声はでていない。目線だけで話しはつく。不思議なもので、周囲もその時をまっていたかのように、場所をあけてくれる。

 お互いに一礼。審判役のE先生の「始め!」の声が道場に響きわたる。Nさんは、私の動きを待っている。カウンターを狙っているのだ。こちらからフェイントをかける。Nさんのカンウターの空振りを誘っておいて、一歩踏み込みワンツー。上段の突きがNさんの道着にあたるが、審判は一本をとってくれない。技として決まっていないからだ。Nさんの反撃が始まる。上段の突きをワンツーと入れながら、上段の回し蹴りへとつないできた。左頭部をねらってきた。しゃがみこみながらかわす。あんなものをモロにもらったら、病院行きになる。あぶないあぶない。

 上段のまわし蹴りのような大技は、決まればいいもののかわされた場合、態勢が崩れ易いので実戦的ではない、とされている。しかし、大きく振り上げられた重たい足が頭部や肩ににつきささる様はみてい格好いい。だが受けるほうは、たまらない。

 Nさんは、上段の回し蹴りかわされたあと、バランスを崩した。そこで、間髪いれずに反撃に転じるのがセオリーだが、そんな風に身体が動けば苦労はしない。しかし、セオリーはセオリーである。相手が態勢を立て直したあとであろうと、反撃を開始しないわけにはいかない。こちらから、上段のワンツー。Nさんが後退する。さらに追い込む。カウンターを撃ってところをかわしながら、再度、上段の突き。Nさんの顔面に私の右上段突きが突きささる。「一本!」と思うものの、審判はとってくれない。なぜ!!。審判を横目でみながら、今度は、中段の蹴りをNさんのみぞおちにたたきこむ。接近戦になってきているので、蹴りがにぶい音をたてながらNさんの身体に食い込む。しかし、これも技ありをとってくれない。なぜ!!。

 そうこうしている間にNさんからも何本も入れられてしまう。しかし、これも技ありにならない。当たっているのに、技ありを取ってもらえない。こんなところが、おじさん組手の、現状だったりする。相手に当てることはそこそこ出来るのだが、技としての出来具合はまだなのだ。

 こうしていると超接近戦となり、からみあってしまう。審判のE先生が間にわってはいる。もっと肩の力を抜いて、技を出しあいなさい、と叱られる。

 位置をもどして、再度、始め。今度は、どたばた動かずに、相手の動きをお互いにまっている。全日本空手道連盟の全国大会の決勝戦を一度観たことがあるが、動きがない。おたがいに相手の動きをまっている。本当に静かなのだ。シーンとして、会場全体が息をのんで、試合中の二人を見つめている。そこにある静謐さは、ちょとでもバランスがくずれれば怒涛の喧騒がふきだすようなぎりぎりのバランスの現れ。

 これに対して、私とNさんの待ちの状態は、半ば、体力の限界が作り出してしまっている待ちでもある。相手が、すごい人だと、隙をつくったとたんに、頭部に衝撃が走るのだが、疲れてくると、動きが荒くなるか、疲れてしまって動けなくなるのだ。

 Nさんが動いた。突きをかわしながら、上段のカウンターをたたきこむ。つかれてくると、拳がうえに流れる。メンホーのふちにあたった。
00-08-03 木曜日 ●おじさん組手の壮絶
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