(再録)【長文】和道空手の形(かたち)に近づく

以下の小文は、1996年の年末に書いたもの。今の視点でいえば、「ゼロベース」です。


【長文】和道空手の形(かたち)に近づく
みなさま。
今年最後の<ふ>通信になると思います。テーマは「空手」です。
長文になってしまいました。お時間の余裕があるときにでも、お読みください。

■和道空手の形(かたち)に近づく

空手を始めて六年目にして、やっと空手の形(かたち)というものを垣間見たようなきがする。
今日(12/9)の稽古は、先生と飯島さんと私の三人だけ。先生は、まだ、風邪がなおっていないというので道着にはなっていないので、実質、二人だけであった。これが幸いして、完全な密着指導を受けることになる。対象は、基本動作。

「藤本君、順突きで、ついてみろ」というので、突く。「右と左が違うのがわかるか」と言われるが、わからない。
まず、左の足が、軸足になっているから、順突きの時も、少し内側を向いてしまっていることを指摘される。それから、足の幅。これも、組み手を左前で構えるために、縦セイシャンのような位置になってしまっているのだ。これでは、順突きの足ではない。中途半端に、組手の突きが入りこんでしまっている。

まず、これを直してもらった。左足をまっすぐに踏み出すこと。そして、足の幅は、いつもよりも、半足だけ、ひろげる。
実は、こう言われて、すぐにできるものではない。あたりまえに思っていた足の位置を変更しなければならないのだから、最初は、動けなくなってしまうくらい混乱する。それでも、徐々に矯正。なんとか左右対象に順突きができるようになってきた。突きが、非常に楽になった。なによりも重心の移動が、スムーズになった。そして、疲れなくなったのだ。

次は、逆突き。いままでは、順突きも逆突きも、大して難しさに違いを感じたことはなかったのだが、なんと、順突きでさっき出来るようになったことだけで逆突きをやってみようとしても、簡単には出来ないことがわかった。ということは、これまで、逆突きでやるべきことをちゃんとできていなかったということなのだ。

私の逆突きは、足が着くタイミングと、突きを出すタイミングがずれていた。見た目には、逆突きなのだが、足と腰と突きの動作がばらばら。つまり、力が1/3づつ分散されていたのだ。着地と腰のひねりと突きが一緒になって、総合的なパワーが発揮されるというのに、それぞれに別の動作をしていたから、変な干渉すら起っていて、身体が不安定になる。そのバランスを維持しようとするのにも力を使わなくてはならないから、ますます、悪循環。

これを直していった。突きを出すタイミングと着地のタイミングをあわせる。そのためには、腰のひねりが、同期しないといけない。ここでも、これまでやってきたやり方と違うために、一歩も動けない状態(パニック!)に落ちいる。しかし、徐々に要領がわかってくると、実に自然に突きが出せるようになる。そして、足は、どっしりと床に付き、突きに力は集中する。先生は、足が床にのめり込む感覚だ、というが、そこまではわからなかったが。

こうして、順突きと逆突きについては、かなり根本的なところから直してもらったことになる。その結果、なん往復やっても全然疲れない、という状態になる。初めて味わった感覚だった。身体が軽くなる。無駄な力を使わないで、移動できるし、突きも蹴りも出せる。いままでなら、基本動作は、準備体操みたいなものでしかなく、そのくせ、終わればへとへとになるものだった。ところが、いくらやっても疲れないのだ。
このあと、蹴って突く、順突きと順の突っ込みを交互にやって、足の踏み出し長さの調節などを行う。
こうして、基本動作(移動基本)というのが、なるほど「基本」なんだということがよくわかった。

■動けば動くほど、気が充満してくる。
基本動作をやっているうちに、気持ちがよくなったのは、気が充満してきたからであろうか。内気と外気の違いはわからないが、とにかく、気持ちがよくなる。ランナーズ・ハイ、もこのような状態なのではないだろうか。
ランナーズハイは、高校のときのほんの一度の経験したが、あのときも、身体が軽くなっていった。
(これを脳内モルヒネとして説明するのは、どんなもんだか。「脳内革命」のエッセンスは、プラス思考で、脳内モルヒネは、その「科学的」説明とされているが、確かめようがない、という点では、よくある宗教教団の小冊子と同じ。確かめるためには、著者の経営する病院にいくしかない。これは、なかなかの商売上手。養老孟の「唯脳論」も同じところにいく? メカニズムとして、そうかもしれないが、読者は、信用するしかない。脳を登場させて、そこでの機能を実体化する議論には、どうしても胡散臭さを感じてしまう。)

今回、基本動作で味わった感覚は、なにかと似ていると思った。昨年(やっと…)体得した、アイススケートの身体の動きだ。踵ををつけて、ハの字ハの字に足を出すと、自然と身体が動いていった。それまでの私のスケートは、力ですべっていて、足首にも力が入っていたので、ある程度の時間すべると、足が痛くなってしまった。それが、この方法で滑れるようになったら、疲れなくなって、いくらでも滑っていられるようになったのだ。
昨日の稽古では、この感覚がわかってきたということなのかもしれない。稽古の後というのは、(打撲のせいもあるが)身体中が痛い、というのが常であったが、昨日は(もちろん、組手でいただいた打撲の痛みもあったが)身体が軽かった。歩き方まで無駄な力を抜けるようになったみたいだ。きっと、ランニングにも、こういう身体の動かしかたがあるんだろうと思う。また(こりずに…)三浦市民マラソンにはエントリーしたので、今回は、こんな走り方が出来るように練習をしてみようと思う。

歩いていても、足が自然に前に出ていく、という感覚。移動が楽になった。これは、組手をしていて、すぐに効果として現れた。無理に飛び跳ねないから、疲れない。
身体が自然に動くというのは気持ちのいいもので、無理してあっちにいこう、このすきをねらってやろう、という状態ではなくなる。相手が突いてくれば、自然によけ、スキが生じたら、自然に突きや蹴りがすいこまれていく。とまでいうと言い過ぎかもしれないが、そんなのに近い感覚を味わうことができた。何年か前に港区の新人戦で3位になったが、最後、体力でまけてしまった。あの時に、昨日みたいな動きができていれば、優勝できたかもしれない? まあ、そんなんじゃない人たちが戦うのが新人戦か。

■基本の大切さ
基本は大切であるという。これはいろいろなところで言われる。言葉としては、誰も知らぬ者はいない。しかし、基本や形(かた)ができても、実践で強いかどうかは別だ、ということもよくいわれる。でも、やはり、基本は重要なんだと思う。
今回あじわったのは、身体が軽くなって、しかし、どっしりと地面にめりこんで(矛盾しているようですが、こうなんです)、強烈な突きや蹴りがだせる、ということだった。それに、順突きと逆突きの違いもよくわかった。難しさが違った。
こういうことを経験してから、基本を見直すと、このような境地の基本をやればやるほど、応用動作がスムーズにでてくる、ということがわかる。「慣れ」から応用動作が出てくるわけではないのだ。
組手などをやるようになると、どうしても格好よく決めたいし、速い動きをしてみたくなる。しかし、速い動きをセコセコ練習しても、うまくならない。ゆっくりゆっくりやらないと、うまくならないのだ。いや、逆かもしれない。ある水準にたっしないと、ゆっくり動けないのだ。ちゃんとした重心の移動をできないと、安定しない。そうやって考えると、ゆっくり動作の大極拳などの見方も変わってくる。練習方法も変わろうというものだ。
これまでも、おまえの突きは早いけど、それだけじゃうまくなれない、といわれてきたが、その意味をやっと身体で理解したように思う。ある程度うまくならないと、ゆっくりできないし、ゆっくり動かすことを意識してめざさないと、一度「繕った格好よさ」から脱却するのは難しいのだ。

今回なによりも嬉しかったのは、「だんだんと和道の形になってきたね」と先生に言ってもらえたことだろうか。鏡を見ながらやっていたが、動きが自然になるとフォームも格好よくなってくる。見栄えから入っても格好よくはなれないようだ。

■基本動作
不思議なもので、こうなると、基本をやりたくて、うずうずしてくる。これまで、こんなことはなかった。白状してしまえば、基本なんて面白くもなんともなかった。それが、どうだ。基本動作にある種の心地好ささえ感じるようになってしまった。これは、身体のバランスがとれるようになったということなのかもしれない。

基本をたっぷりやったあとは、身体の動きがスムーズになる。これは、準備運動的な要素もある、ということで納得していたが、整体的な要素があるとなると、もっと、深い意味がでてくる。

■「すり足」
月刊『空手道』(97年1月号)のQ&Aで、跳ねるようなステップでのフットワークが辛くなってきた30代の空手家の悩みがのっていて、それに、和道会の柳川昌弘さんが、答えている。回答は、日本文化の結晶たる武術(武道)の一大要点とされてきた「すり足」を体得することだ、というのだが:
「空手の練習では「移動基本」と呼ばれるものがあります。この移動に要する運足法は、その建前上「すり足」とされておりますが、現実には(ことに初心者から中級者では)すり足とは似て非なる姿となっていることを知ってほしいと思います。」と述べ、更に、
「もし、この移動基本で、すり足の理の一端なりとも体得しているとすれば、今さら運足法の改善といった大変な労苦が必要になるはずがありません。」(p115)という。
どうやら、私は、やっとこの運足法を習得する入り口にたったということのようだ。宮本武蔵は『五輪書』で「ただ歩くが如し」とだけ書いているようだが、この運足がすべての基本なのだろう。
柳川氏は、すり足とは「居つかぬ足」だとも述べていて、4mくらいの目標まで、浮き身で移動できるとも書いていた。なにかで読んだが、武道の達人同士の試合となると、ササーと猛烈なスピードで二人が動いていってしまうことがあるということだ。無理して、飛び跳ねるようにして「距離」をのばそうとしてできることではない。

■参考文献
山本利春,1996,『簡単・手軽 チューブ体操』NHK出版
Shar,Preston,1994,”Striking the Right ‘Cord'”,MA Training,Jan 1994,pp50-55
下條仁士,「Exercises of hera-Band」D&M商会
サイード・パリッシュ・サーバッジュー,1994,『武道整体医法』ベースボール・マガジン社
1996『スポーツトレーニングが変わる本」別冊宝島263,宝島社
1996『格闘技「精神」革命』別冊フルコンタクトKARATE

■履歴
v2.0 WordPress 版 2022/11/23
v1.1 print out version 1996/12/16 (Mon) 12:51:06 JST <ふ>
v1.0 online version 1996/12/13 (Fri) 23:16:39 <ふ>
URL=http://world.std.com/~fujimoto/

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